大会情報/生涯部門
教員とは、(公財)日本ソフトボール協会・チーム登録規定で「同一都道府県内に勤務する男子教員によって編成されたチーム」(学校教育法第1条に規定する学校の教員とする。ただし、実習助手は認める)と定められている。
2016年まで、革ボール使用の「競技種別」として行われていたが、2017年度より、ゴムボール使用の「生涯種別」に組み入れられた。
大会の創設は1955年と歴史は古く、第1回大会~第9回大会まで「全日本総合大会」として開催され、その大会の中で「一般女子の部」「教職員の部」として行われていた。
1964年の第10回大会から「全日本教員選手権大会」に改称され、第10回大会、翌年の第11回まで「教員の部」と併設して「大学女子の部」が開催されていたが、1966年の第12回大会から教員大会として一本化された。
かつては「不世出の大投手」三宅豊(現・日本ソフトボール協会副会長、選手強化本部長)を擁する群馬教員(群馬)が、このカテゴリーであったこともあり、全日本総合男子選手権大会でも優勝を飾る等、日本トップクラスの競技力を誇っていた時期もあった。
しかし、近年では、教員採用試験の難易度が高まり、容易に選手を集めることができない状況となり、時代の変遷とともに、二度の3連覇を含む優勝10回の群馬教員(群馬)がクラブチーム登録に種別変更。他にも、チーム存続が難しくなるチームや種別変更を余儀なくされるチーム等が続出。競技人口、チーム登録数を確保することすら難しい状況が生じている。
そんな中、不滅の「8連覇」を含む最多19回の優勝を誇る金沢教員(石川)や、9回の優勝を成し遂げ、金沢教員(石川)の「良きライバル」として立ちはだかったレッドスパローズ(千葉)が懸命に大会を盛り上げてくれたが、強豪チームと他のチームのレベル差は開く一方となり、大差のコールドゲームが続出したこと等もあり、「競技種別」としての歴史と伝統にひとまず幕を閉じ「生涯種別」の大会として「新たなスタート」を切ることとなった。
2020