公益財団法人日本ソフトボール協会

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男子日本代表

男子日本代表 男子日本代表の歩み

男子日本代表の歩み

  昭和41年10月23日~11月3日、メキシコ・メキシコシティにおいて第1回の世界選手権大会が開催され、日本製鋼所(広島)を日本代表として派遣。3勝7敗で6位の成績を残している。

  その後、しばらくは国内で優秀な成績を残したチームを「日本代表」として派遣する形がとられていたが、「最強チーム」を編成しての大会参加の機運が高まり、1976年の第4回大会からナショナルチームを編成し、参加するようになった。

  女子と比べ、当初はなかなか世界の舞台で上位入賞を果たすことができずにいたが、第4回大会から第7回大会まで4回の世界選手権出場を果たし、後に日本選手としては初のISF(国際ソフトボール連盟、現・WBSC/世界野球ソフトボール連盟)殿堂入りを果たした「不世出の大投手」三宅豊(現・日本ソフトボール協会副会長)の奮闘等もあり、徐々に「世界との距離」を縮め、「次代のエース」西村信紀(前・日本代表ヘッドコーチ)にバトンを渡すと、1992年の第8回大会で“世界の3強”の背中を視野にとらえる4位入賞。1996年の第9回大会で“世界の3強”の一角・アメリカを倒して3位に入り、2000年の第10回大会では、「エース」西村信紀を軸に、打線にも「一振りで勝負を決める」ことのできるスラッガー、「主砲」岡本友章(現・日本ソフトボール協会理事、同協会選手強化本部会・男子強化委員長)の活躍もあり、ニュージーランド、カナダ、アメリカの“世界の3強”を総ナメ。ファイナルで王者・ニュージーランドと死闘を演じ、惜しくも敗れはしたが準優勝の成績を残し、「世界の頂点」に限りなく近づいた。

  しかし、その後は、世界の「高く厚い壁」に阻まれ、4大会連続5位。2大会連続でチームの指揮を執った西村信紀ヘッドコーチから、岡本友章ヘッドコーチにバトンが託され、再び「世界のトップレベル」に戻るべく、強化が進められている。

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