1991年、オリンピック競技入りを受け、「選手強化本部会」を設立。オリンピックでの「メダル獲得」をめざした選手強化がスタートした
1994年、「第8回世界女子選手権大会」では7位に終わり、アトランタ・オリンピック出場権獲得を逃す……
1995年、アトランタ・オリンピック出場への「最後のチャンス」アジア・オセアニア地区予選(最終予選)に挑む!
オリンピック出場「最後の切符」を争ったニュージーランドは「世界選手権優勝投手」ジーナ・ウェバーが現役復帰
ニュージーランドとの「死闘」を制し、アトランタ・オリンピック出場権獲得!
アトランタ・オリンピック出場権を獲得し、順風満帆に思えたが……
開幕まで約3週間に迫った「第32回オリンピック競技大会(2020/東京)ソフトボール競技」。2008年の北京オリンピックを最後にオリンピック実施競技から「除外」されていたが、2020年開催のオリンピックが「東京」での開催に決まったことで「追加競技」として実施されることになり、12年ぶりに「復活」することになった。
新型コロナウイルスによる1年延期を経て、「13年ぶり」にオリンピックの「夢舞台」で実施される「ソフトボール競技」。オリンピックの「開幕」を直前に控え、ここでは過去4大会(1996年アトランタ、2000年シドニー、2004年アテネ、2008年北京)の「戦いの軌跡」を改めて振り返ってみたい。
ソフトボールが初めてオリンピックの「正式競技」として実施された1996年アトランタ・オリンピック。長年の「悲願」が叶い、オリンピックの舞台でソフトボールが実施されることになったが、その「夢の舞台」に辿り着くには、まさに「紆余曲折」、「Long And Winding Road」と表現するにふさわしい厳しくも険しい「苦難の道」が待ち受けていた。
1994年、アトランタ・オリンピックの「1次予選」となった「第8回世界女子選手権大会」(1994.7.29~8.7/カナダ・セントジョンズで開催。出場メンバーはこちら)には、オリンピック出場をめざし、27チームが参加を表明。上位4チーム(オリンピックのホスト国であるアメリカが上位4チームに入った場合は5位まで)に与えられる「オリンピック出場権」を巡って熱戦を繰り広げた。
大会は、参加全チームをA・B・C・Dの4グループに振り分け、シングルラウンドロビン(1回総当たり)方式の予選リーグを実施。各グループの上位2チームがページシステム(敗者復活戦を含むトーナメント)に進出する試合方式が採用されていた。
「予選リーグ・グループD」に振り分けられた日本は、オーストラリア、ネザーランド・アンティルス(オランダ領アンティル)、バハマ、ボツワナ、フランス、ウクライナと同組となり、上位進出の「ライバル」と目されるオーストラリアに勝って「1位通過」し、決勝トーナメントを「有利」(グループ1位通過のチームには敗者復活戦に回る権利が与えられる)に戦うことができるかどうかに「焦点」が絞られた。
日本は、予選リーグ初戦のウクライナ戦に12-0で5回コールド勝ちすると、続くボツワナ戦も11-0で5回コールド。第3戦のバハマ戦も山路典子(現・日本代表コーチ)の1試合3本塁打等で16-2と大勝し、オーストラリアとの対戦を迎えた。「予選リーグ・グループD」の「1位通過」をかけた一戦は、2回裏、5回裏に1点ずつを挙げ、有利に試合を進めながら、「勝利目前」の7回表、同点に追いつかれ、延長タイブレーク(当時のルールでは延長8回、9回は走者なしの状態で延長戦を行い、10回からタイブレーク。無死二塁の状況を設定して試合を行う)にもつれ込んだ延長11回表に決勝点を奪われ、2-3の逆転負けを喫し、この試合を落としてしまう。
日本は予選リーグ残り2試合を、ネザーランド・アンティルス(オランダ領アンティル)に9-0、フランスに10-0と大勝し、5勝1敗としたものの、オーストラリアとの「直接対決」に敗れたことが響き、「予選リーグ・グループD」の「2位」で決勝トーナメント進出。「負けは許されない」状況での戦いとなった。
決勝トーナメントでは、初戦で予選リーグ・グループA2位のチャイニーズ・タイペイと対戦。試合は4回まで0-0の投手戦となったが、5回裏に痛恨の4失点。これまで一度も負けたことのなかったチャイニーズ・タイペイに0-4の完敗を喫し、「まさか……」の7位に終わり、アトランタ・オリンピックの出場権獲得を逃し、アジア・オセアニア大陸予選(最終予選)を勝ち抜くしかオリンピック出場への「道」はなくなってしまった。
大会後、この世界選手権の前から体調を崩していた勅使川原英志ヘッドコーチは、健康の回復が第一と、一時ヘッドコーチの任を離れ、10月3日~7日、広島県広島市で開催された「第12回アジア競技大会」では、田中大鉄コーチが急遽「ヘッドコーチ」を務め、大会に臨んだが、ここでも中国の後塵を拝し、銀メダル。世界選手権で「屈辱」の敗戦を喫したチャイニーズ・タイペイを順位では上回ったものの、「直接対決」では0-4、3-2と星を分け合う形となり、この後行われるアジア・オセアニア大陸予選を勝ち抜くことができるのか、「不安」を残す形で大会を終了した。
アジア競技大会を終え、アジア・オセアニア大陸予選へ向け、日本ソフトボール協会は、はいったんすべてを「白紙」に戻し、「再出発」することを決断。ヘッドコーチ「未定」のまま、初の「一般公募」で選手を募り、12月10日から3日間、愛知県豊田市のトヨタスポーツセンターで「選手選考会」を実施。日本全国に広く人材を募り、もう一度、日本の「総力」を結集して戦うのだという「決意」と「覚悟」を示した上で、29名の「候補選手」を選出。そのまま、翌13日から沖縄で強化合宿を行い、24日、緊急の選手強化本部会を招集し、細淵守男新ヘッドコーチ(日立ソフトウェア/当時)以下のスタッフと候補選手23名を発表した。
年明け早々の1995年1月9日から強化合宿を行い、23日~2月1日までオーストラリア・シドニーに遠征。2月6日~10日、最終調整合宿を行うという、慌ただしいスケジュールをこなし、「決戦の地」ニュージーランド・オークランドへ乗り込んだ。
アトランタ・オリンピック出場の「最後の一枠」を争う相手となるニュージーランドは、1982年の「第5回世界女子選手権大会」でニュージーランドに初の「世界一」をもたらし、優勝投手となったジーナ・ウェバーがオリンピック出場をめざし「現役復帰」。日本もアトランタ・オリンピック出場権獲得を逃してしまった「第8回世界女子選手権大会」では、そのジーナ・ウェバーが獅子奮迅の活躍を見せ、「予選リーグ・グループB」を6戦全勝の1位で通過し、決勝トーナメント進出を決めたものの、決勝トーナメントでは初戦、「予選リーグ・グループC」2位で勝ち上がってきたカナダに0-1で敗れ、アトランタ・オリンピック出場権獲得をかけたチャイニーズ・タイペイとの「5位決定戦」でも、またしても「1点」に泣き、0-1で敗れ、6位で終戦。アジア・オセアニア大陸予選にオリンピック出場の望みをかけることになった。
このニュージーランドとの「一騎打ち」になると思われたアジア・オセアニア大陸予選だが、パプアニューギニアが参戦してきたことで状況が一変。まず3チームでのダブルラウンドロビン(2回総当たり)方式の予選リーグを行い、上位2チームが3試合制のプレイオフ(先に2勝したチームがアトランタ・オリンピック出場権を獲得)を行う試合方式で「最終決戦」が行われることとなった。
「アジア・オセアニア大陸予選」(出場メンバー・スタッフはこちら)は、2月23日に敵地・ニュージーランド・オークランドで開幕。日本はまずニュージーランドとの「最初の対戦」に臨み、先発・渡辺正子、左腕・渡辺伴子、そして再出場・再登板した渡辺正子へとつなぐ投手リレーで1-0の完封勝利。ダブルヘッダーとなった3試合目、パプアニューギニアとの対戦は16-1の4回コールド勝ちを収め、初日連勝を飾った。
翌24日、まずパプアニューギニアに斎藤春香(後の2008年北京オリンピックヘッドコーチ。当時は「斎藤」と表記。現在は「齋藤」と表記している)の2本塁打等で16得点、投げては小林京子が4イニングをパーフェクトピッチング。16-0の4回コールド勝ちを収めると、続くニュージーランドとの2回目の対戦も田村由香の本塁打等で4-1と快勝。4戦全勝の1位でアトランタ・オリンピック出場をかけた3試合制のプレイオフに駒を進め、2勝2敗で2位のニュージーランドとの「最終決戦」に臨むことになった。
日本、ニュージーランドとも完全に手の打ちを隠しての対戦となった予選リーグだが、ニュージーランドが「エース」ジーナ・ウェバーを温存し、登板させなかったとはいえ、最初のニュージーランドとの対戦で1-0の勝利を挙げたことが大きかったと、後に塩田昭三強化部長が語っている。世界選手権、アジア大会と続いた「嫌な流れ」を断ち切る意味で、やはり「勝つこと」に大きな意味があり、この「1勝」でチームが自信を取り戻すことができたと。当初の想定通り、ニュージーランドとの「一騎打ち」となり、いきなりニュージーランドと対戦していたら、ジーナ・ウェバーと相対していたら、また全然別の結果になっていたかもしれない……との「後日談」を遺している。
2月25日、ニュージーランドとのプレイオフ第1戦は、ニュージーランドが予選リーグでは「温存」していた「切り札」ジーナ・ウェバーをついに先発に起用。4回まで両チーム無得点で試合が進み、5回表、ニュージーランドが日本の先発・渡辺正子からついに1点を先制。続く6回表にもこの回からリリーフした石川多映子にツーランホームランを浴びせ、2点を追加。3点差にリードを広げ、「勝負あった」かと思われた。
しかし……ここから、今も現地で「グレートリターン」と語り継がれる日本の逆襲がはじまる。6回裏、「難敵」ジーナ・ウェバーを攻め立て、二死満塁の好機をつかむと大津あいみのタイムリーとワイルドピッチで1点差に迫り、井上真由美の「絶妙」なセーフティーバントで同点。3点差をはね返し、同点に追いつき、7回裏には持田京子に「劇的」なサヨナラツーランが飛び出し、5-3で奇跡的な逆転サヨナラ勝ちを収め、先勝。
続く第2戦もジーナ・ウェバーから2点を奪い、先発・石川多映子、渡辺正子とつなぐ投手リレーでニュージーランド必死の反撃を1点でしのぎ、2-1で逃げ切り、連勝。アトランタ・オリンピックの出場権を獲得した。
本来なら、これで「めでたし! めでたし!!」となるところだが……アトランタ・オリンピックへの道はなお厳しく険しいものだった。
1995年5月24日、「平成7年度第2回理事会」で、アジア・オセアニア大陸予選でアトランタ・オリンピックの出場権を手にした鈴村光利総監督、細淵守男ヘッドコーチに加え、新たにコーチとして福島泰史氏、宇津木妙子氏(現・日本ソフトボール協会副会長)をコーチングスタッフに加えることを決定。6月19日~25日、アジア・オセアニア大陸予選でアトランタ・オリンピックへの出場権を獲得したメンバーを主体として「カナダカップ」に参加。今となっては信じられないことだが、当時はこの「カナダカップ」に出場していたアメリカ、カナダのクラブチームにも歯が立たず、16チームが参加した大会で8位に終わっている。
帰国後、7月3日~5日の3日間にわたり、愛知県豊田市・トヨタスポーツセンターで改めて「選手選考会」を実施。20名の候補選手を選出し、7月11日~15日、千葉県鴨川市で「第1次国内強化合宿」、7月25日~28日、神奈川県相模原市で「第2次国内強化合宿」を実施し、翌年に開催を控えたオリンピックのプレ大会、リハーサル大会的な位置づけで開催された「スーパーボールクラシック」(1995.8.3~6/アメリカ・コロンバス)に出場した。この大会は、アトランタ・オリンピックの「ホスト国」であるアメリカはもとより、オーストラリア、中国、チャイニーズ・タイペイ、プエルトリコとオリンピック出場国がズラリと顔を揃える大会となり、日本はプエルトリコに勝って「全敗」は免れたものの、前年の「第9回世界女子選手権大会」で屈辱の敗戦を喫したチャイニーズ・タイペイに1-6の大敗を喫する等、1勝4敗の5位に終わり、「メダル獲得」への意気込み、期待が高まる一方、思うような「結果」を残せぬ状態が続いた。
これらの結果を受け、11月23日~25日、愛知県豊田市・トヨタスポーツセンターで改めて「選手選考会」を実施。ここまでの経緯・結果を踏まえた上で、若干名の「追加」を行い、24名の候補選手を選出し、12月9日~18日、沖縄県北谷町で「第3次国内強化合宿」を実施。中国から日本への「帰化」が実現し、「主砲」としての働きが期待される宇津木麗華、「第5回世界女子ジュニア選手権大会」(1995,6.24~7.1/アメリカ・ノーマル)で「エース」として活躍した「期待の若手」髙山樹里らも加わり、強化は順調に進んでいるかに見えた。
だが……年明け早々、「第4次国内強化合宿」(1996.1.29~2.3/滋賀県長浜市)に合わせるかのように、細淵守男ヘッドコーチの突然の「辞任」が各種メディアで大々的に報じられる事態に……。
アトランタ・オリンピックへの出場権を勝ち獲り、日本の「窮地」を救ってくれた指揮官がチームを去り、混乱を極める中、オリンピック「本番」は直前に迫っていた(後編に続く)。
(公財)日本ソフトボール協会 広報
株式会社 日本体育社「JSAソフトボール」編集部 吉田 徹
No. | 守備 | 氏名 | 所属 | 背番号 |
---|---|---|---|---|
1 | 投手 | 一場真澄 | 太陽誘電 | 17 |
2 | 〃 | 渡辺正子 | 太陽誘電 | 16 |
3 | 〃 | 丹野さおり | 日本体育大 | 19 |
4 | 〃 | 渡辺伴子 | 日本電装 | 12 |
5 | 〃 | 木村理香 | 東邦銀行 | 11 |
6 | 捕手 | 山路典子 | 太陽誘電 | 25 |
7 | 内野手 | 中田まり | 太陽誘電 | 3 |
8 | 〃 | 大島滋子 | 東京女子体育大 | 20 |
9 | 〃 | 佐坂かおり | 豊田自動織機 | 24 |
10 | 〃 | 川島久美 | 太陽誘電 | 7 |
11 | 〃 | 斎藤春香 | 日立ソフトウェア | 26 |
12 | 〃 | 児玉千佳 | 太陽誘電 | 21 |
13 | 〃 | 安藤美佐子 | 太陽誘電 | 6 |
14 | 外野手 | 井上真由美 | 日本電装 | 1 |
15 | 〃 | 岸岡香里 | 太陽誘電 | 22 |
16 | 〃 | 大村多美子 | 太陽誘電 | 23 |
17 | 〃 | 都築琴美 | 豊田自動織機 | 2 |
※氏名、所属は大会出場当時のもの
No. | 役職 | 氏名 | 所属 |
---|---|---|---|
1 | ヘッドコーチ | 勅使川原英志 | 日本ソフトボール協会 |
2 | コーチ | 田中大鉄 | 豊田自動織機 |
3 | 〃 | 組島千登美 | 日本電装 |
4 | トレーナー | 宮崎重雄 | 太陽誘電 |
5 | マネージャー | 藤井まり子 | 日本ソフトボール協会 |
※氏名、所属は大会出場当時のもの
No. | 守備 | 氏名 | 所属 | 背番号 |
---|---|---|---|---|
1 | 投手 | 渡辺正子 | 太陽誘電 | 16 |
2 | 〃 | 渡辺伴子 | 日本電装 | 12 |
3 | 〃 | 丹野さおり | 日本体育大 | 19 |
4 | 〃 | 石川多映子 | 日立ソフトウェア | 11 |
5 | 小林京子 | 日立高崎 | 14 | |
6 | 捕手 | 山路典子 | 太陽誘電 | 25 |
7 | 〃 | 持田京子 | 日本体育大 | 22 |
8 | 〃 | 小林良美 | 日立高崎 | 2 |
9 | 内野手 | 田村由香 | 日立ソフトウェア | 3 |
10 | 〃 | 斎藤春香 | 日立ソフトウェア | 26 |
11 | 〃 | 佐坂かおり | 豊田自動織機 | 24 |
12 | 〃 | 安藤美佐子 | 太陽誘電 | 6 |
13 | 外野手 | 大津あいみ | 日立ソフトウェア | 10 |
14 | 〃 | 塚田恵美 | トヨタ自動車 | 8 |
15 | 〃 | 井上真由美 | 日本電装 | 1 |
16 | 〃 | 松本直美 | 日立高崎 | 9 |
17 | 〃 | 岡本伊都子 | 豊田自動織機 | 7 |
※氏名、所属は大会出場当時のもの
No. | 役職 | 氏名 | 所属 |
---|---|---|---|
1 | 強化部長 | 塩田昭三 | 日本ソフトボール協会 |
2 | 総監督 | 鈴村光利 | トヨタ自動車 |
3 | ヘッドコーチ | 細淵守男 | 日立ソフトウェア |
4 | トレーナー | 武藤幸政 | 城西大 |
5 | マネージャー | 藤井まり子 | 日本ソフトボール協会 |
※氏名、所属は大会出場当時のもの