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東京2020オリンピック「直前企画」
オリンピックにおける「ソフトボール競技」戦いの軌跡
第9回 2008年北京オリンピック(中編:打倒・アメリカ……「白紙」の答案用紙と格闘する日々)

「史上最高にして最強」のアメリカに勝つには……私が点を取られなければいい!

「上野を助けてあげたい」と「現役復帰」を決めた坂井寛子

ドーハ・アジア大会まで井川英福氏がヘッドコーチを務め、その後は「総監督」に就任

「2006 JAPAN CUP」ではアメリカに敗れ、「連覇」ならず……

ドーハ・アジア大会では2大会連続の金メダル獲得!

斎藤春香氏が日本代表ヘッドコーチに正式に就任! 新体制スタート!!

「世界一になる」「金メダルを獲る」この「目標」を敢えて意識して練習に励む

「練習」はグラウンド上だけではない。宿舎に帰っても映像を確認し、「打倒・アメリカ」の秘策を練る

2007年7月、「第2回USAワールドカップ」でもアメリカに敗れ、準優勝

2007年11月、「2007 JAPAN CUP」では予選リーグでアメリカに勝ち、決勝でも延長11回の死闘を演じたが……

 「打倒・アメリカ」なくして悲願の「金メダル獲得」はない。それはわかっている。ただ……そのためにどうしたらいいのか??? 世界選手権6連覇、オリンピック3大会連続の金メダルと「無敵」を誇る「史上最高にして最強」のチーム、アメリカに「勝つ」ための戦術・戦略、方法論を見出すことは「至難の業」であり、その「解法」を見つけられず、「白紙」の答案用紙を前にして、何も書き込むことのできずうろたえている「受験生」のような気分だった。辿り着くべく「ゴール」はハッキリしている。ただ……そこに辿り着くための地図もなければ、道順もわからない。道に迷ってさまよう「旅人」のようでもあった。

 ただ……その「打倒・アメリカ」を果たすための「唯一の方法論」「究極の解法」を見つけ出した選手が一人だけ存在した。上野由岐子である。この頃から「私がアメリカ打線に得点を許さなければ、少なくとも負けることはない」が口癖のようになり、呪文を唱えるかのようにこの言葉を繰り返していた。
 正確には、相手打線に「得点を与えない」だけでは「勝つ」ことはできない。打線がアメリカの投手陣から点を取ってくれない限り……勝てないことはわかりきっている。その「当たり前の事実」に敢えて目をつぶり、「自分ができること」だけに目を向けた。「アメリカ打線をゼロに抑える! 完封する!!」という「究極の解法」のみを追い求め、それを会得することを自らに課し、日々の練習に没頭。その姿には他を寄せつけない「オーラ」があり、修験者や求道者のようでもあった。

 また、「第11回世界女子選手権大会」で「孤軍奮闘」する、日本の「エース」上野由岐子の姿を見て、「ある決意」を固めた者もいた。アテネ・オリンピックでともに「金メダル」をめざした「仲間」であり、すでに「現役」を退き、「引退」していた坂井寛子である。「上野由岐子一人ではあまりにも負担が大きすぎる」「上野由岐子の助けになりたい」と、「孤高のエース」を支えるために……密かに「現役復帰」を誓っていた。

 2006年10月、日本ソフトボール協会も「新体制」の構築に動く。2004年秋から「日本代表」の指揮を執り、「第11回世界女子選手権大会」までヘッドコーチを務めた井川英福氏の任期満了に伴い、強化体制を一新することを決定した。
 北京オリンピックでの「金メダル獲得」という大きな目標へ向け、尾﨑正則専務理事が陣頭指揮に立ち、「選手強化本部長」を兼務。ヘッドコーチは12月に開催されるドーハ・アジア大会まで井川英福氏が務め、同大会終了後に井川英福ヘッドコーチを総監督とし、斎藤春香コーチ(当時は「斎藤」と表記。現在は「斎藤」と表記している)をヘッドコーチに昇格させることを決定。自らアトランタ、シドニー、アテネのオリンピック3大会を経験し、銀メダル・銅メダルを手にした「新世代」の指導者にバトンを渡し、文字通り「新たな体制」で北京オリンピックでの「金メダル獲得」をめざすことになった。

 11月17日~19日、女子日本代表は神奈川県・横浜市(横浜スタジアム)で開催された「2006 JAPAN CAP」に出場。
 大会には、世界選手権6連覇、オリンピック3大会連続の金メダルと「世界の頂点」に君臨し続けるアメリカ。2008年の北京オリンピックのホスト国であり、それに向けて強化を進める中国。8月に開催された「第11回世界女子選手権大会」では予選リーグ敗退に終わったものの、3位となったオーストラリアを破るなど、潜在能力は決して侮れないヨーロッパの雄・オランダ。そして、前回(2005年)この大会で王者・アメリカを倒し、初優勝を飾った日本。以上の4チームが参加し、熱戦を繰り広げた。
 日本は初戦のオランダ戦に4-1、第2戦の中国戦に8-4と連勝。2日目・第3戦のアメリカ戦に4-8で敗れたものの、2勝1敗の2位で「決勝」に進出。再びアメリカと対戦したが、頼みの打線がアメリカの「先発」モニカ・アボット(2009年~現在、日本リーグ・トヨタ自動車でプレー)に抑え込まれ、わずか2安打。2回裏の二死満塁以外はチャンスらしいチャンスも作れぬまま、完封負け。「連覇」「世界選手権のリベンジ」どころか、屈辱のコールド負けを喫し、大会を終えた。

 12月10日~14日、「日本代表」はカタール・ドーハで開催された「第15回アジア競技大会」に出場。前回に引き続き2大会連続の金メダルを獲得した。
 大会には、日本、中国、チャイニーズ・タイペイ、北朝鮮、韓国が参加(大会直前に当初出場が予定されていたフィリピンが出場をキャンセル)。まず5チームによるシングルラウンドロビン(1回総当たり)方式の予選リーグを行い、上位4チームがページシステム(敗者復活戦を含むトーナメント)で行われる決勝トーナメントに進出する試合方式で覇が競われた。
 日本は、予選リーグを4戦全勝の1位で通過。決勝トーナメントでは、初戦の中国戦に3-0で快勝。決勝進出を決め、決勝では予選リーグ3位から勝ち上がり、「敗者復活戦」に回った中国を「ブロンズメダルゲーム」(3位決定戦)で10-7の乱打戦の末に破り、決勝進出を果たしたチャイニーズ・タイペイと対戦。「エース」上野由岐子が5回参考ながら「完全試合」を達成する快投を見せれば、打線もその力投に応え、10安打7得点と爆発。7-0の5回コールド勝ちを収め、圧倒的な強さで2大会連続の金メダル獲得を果たした。

 12月25日、日本ソフトボール協会は、東京・品川プリンスホテルで「日本代表」の新ヘッドコーチ発表記者会見を行った。井川英福ヘッドコーチが、12月10日~14日、カタール・ドーハで開催された「第15回アジア競技大会」での金メダル獲得を置き土産に勇退。井川英福ヘッドコーチの「右腕」として「コーチ」を務めてきた斎藤春香氏の「ヘッドコーチ昇格」を決め、この日の正式発表に至った。
 記者会見に同席した日本ソフトボール協会・尾﨑正則専務理事兼選手強化本部長は、「自らオリンピックや世界選手権といった大舞台を経験してきた『若い世代』にチームを託したかった。若さ溢れるエネルギッシュで勢いのあるチームを作ってほしい」とエールを送り、「井川前ヘッドコーチには総監督として側面からチームをサポートしてもらい、精神的な支柱となってもらいたい。北京オリンピックでの金メダル獲得のために、さらに2名ほどのコーチングスタッフの追加・補充も考慮しており、女子だけでなく男子の代表をはじめチームの皆さんにも協力を仰ぎ、協会の総力を挙げて強化体制を整え、万全の形でオリンピックに臨みたい」と全面的なバックアップを約束した。

 「新たな指揮官」として、斎藤春香ヘッドコーチを迎え、3月5日~10日、沖縄県嘉手納町で「選手選考会」を実施。
 同月12日の選手強化本部会で日本代表17名、B代表15名を選出。同日記者発表を行い、正式に発表された。B代表には太陽誘電で「現役復帰」を果たした坂井寛子の名前も見られた。
 選考会には、「第1次選考」(書類選考)を通過した44名が参加し、「第2次選考」となる実技選考に臨んだ。
 選考の結果、「日本代表」は投手5名、捕手2名、内野手6名、外野手4名の17名が選出されたが、これに対し、「B代表」の選出は15名に留まった。今後開催される日本リーグ1部第3節までと2部2節まで、大学生はユニバーシアードの選考会を選考対象とし、5月20日の理事会までに5名を追加選出し、「B代表」20名を決定する予定であることが、3月12日の記者発表で明らかにされた。
 また、「日本代表」「B代表」ともにカナダカップ(6月30日~7月8日/カナダ・サレー)に出場し、USAワールドカップ(7月11日~17日/アメリカ・オクラホマシティ)には、「日本代表」17名に「B代表」から5名を加えた22名で臨むことが併せて発表された。
 尾﨑正則専務理事兼選手強化本部長は、「書類選考に落ちた選手も、今回の選考会で選に漏れた選手も、すべてもう1回見る」と明言。今回の選考会の選考結果が「すべて」ではなく、3カ月ごとに「代表の見直し」を行うプランも含めて、まだまだ代表入りの道、可能性は残されていることを強調した(2007年「日本代表選手」「B代表」選手名簿はこちら)。

 3月2日、東京・渋谷の岸記念体育会館で「日本代表」のコーチ決定の記者発表が行われた。
 コーチには、浦野光史氏(アテネ・オリンピック日本代表コーチ)、田本博子氏(シドニー・オリンピック銀メダリスト)の両名が就任。「斎藤新体制」の骨格が決まった。
 記者会見に臨んだ斎藤春香ヘッドコーチは、「浦野コーチには投手陣のさらなるレベルアップを、田本コーチには機動力と守備力の強化をお願いしたい。私の中では最高・最強の布陣です」と、両コーチへの信頼と期待を口にした。
 選手選考会も終わり、「斎藤新体制」の下、悲願の金メダル獲得へ向け、本格的な「強化」がいよいよはじまった。

 3月19日~24日、宮崎県宮崎市において「第6次国内強化合宿」を実施。この合宿には、先の選考会(3月5日~10日/沖縄県嘉手納町)で選出された日本代表17名が参加。「斎藤新体制」の下、「初」の強化合宿を行い、「悲願」の金メダル獲得へ向け、新たな一歩を踏み出した。
 今回の合宿で、選手たちが合言葉のように繰り返したのは、「44打数3安打・打率6分8厘・25三振からの出発」だった。オリンピック、世界選手権で常に日本の前に立ちはだかったアメリカの「エース」キャット・オスターマンに、完全に抑え込まれた苦い記憶。思い出したくもない屈辱のシーン、そこから目を逸らさず、敢えてその記憶と向き合うことによって、従来以上の高いモチベーションが生まれ、チームは「戦う集団」として生まれ変わろうとしていた。
 具体的な練習スケジュールも大きく変貌した。「アメリカを倒す」「世界一になる」「金メダルを必ず手にする」といった目標を鮮明に際立たせたことで、練習内容はより実戦的なものとなり、自らの課題を自覚した上で、それを乗り越え、克服するための具体的な練習スケジュールが立案された。
 世界一の座に君臨し続けるアメリカに勝つために、情報分析スタッフはじめ日本代表が導き出した「答え」は、今夏のUSAワールドカップ(7月11日~17日/アメリカ・オクラホマシティ)で、「エース・上野由岐子抜きでアメリカと互角に戦う」ことであり、具体的には「アメリカの投手陣から1試合で最低3点取れる攻撃力を身につける」ことであった。
 そのために、この合宿には前年の日本男子リーグを制した西日本シロアリ(現在は廃部)の協力を得て、男子バッテリーを練習パートナーに招き、アメリカの投手陣を想定した110km/hを超える球速の切れ味鋭いライズ、ドロップを打ち込んだ。
 当初は完全に抑え込まれていた打者たちが、日を追うごとに対応できるようになり、適応力の高さを感じさせた。
 試合形式の練習でも、田本博子コーチがきめ細かくベースランニングを指導。打球をどの位置で判断するか、タッチアップかハーフウェイか、リスクを犯しても次の塁を狙うべきか自重すべきか、様々なケースが想定され、それに応じたベースランニングができるよう何度も繰り返し練習を重ねた。
 浦野光史コーチの手腕も生きた。自ら男子の日本代表として世界の舞台を戦った記憶が、「金メダル獲得」を期待され、未曾有のプレッシャーの中で戦ったアテネ・オリンピックのコーチとしての経験が、投手陣に伝授されていく。必要とあらば練習の流れを止めてでも、バッテリーを呼んで配球を確認し、「なぜ打たれたのか」「打者の狙いはどこにあったのか」「自分の持ち球・ウイニングショットを生かすための組み立てとは何か」がチェックされ、問いかけられていた。
 この合宿で繰り返される練習風景を見る限り、次のアメリカとの対戦が、北京オリンピック本番が、待ち遠しいとさえ思えた。

 5月20日、日本ソフトボール協会は「第2回理事会」で、未定であった「B代表」に追加する5名の選手と、7月11日~17日、アメリカ・オクラホマシティで開催される「USAワールドカップ」に出場する「日本代表」に帯同させる5名の選手を「B代表」から選出。「B代表」に新たに、投手・髙山樹理、庄子麻希、内野手・宮幸代、溝江香澄、外野手・本田小百合を追加。「USAワールドカップ帯同選手」には、同じく「B代表」から投手・坂井寛子、捕手・谷川まき、峰幸代、内野手・上西晶、外野手・河野美里の5名が「日本代表」に帯同し、大会に参加することになった。

 6月30日(土)~7月8日(日)、「日本代表」「B代表」は、カナダ・サレーで開催された「2007カナダカップ」に出場。両チームともに「王者」アメリカには敗れたものの、「日本代表」が準優勝、「B代表」が3位の成績を残した。

 7月12日~16日、「日本代表」はアメリカ・オクラホマシティで開催された「第3回USAワールドカップ」に出場。準優勝という成績を残した。
 大会には、日本代表15名(西山麗がケガのため、大会不参加。上野由岐子がカナダカップ終了後帰国)に「B代表」から5名の選手を加えた布陣で大会に臨み、アメリカ、中国、カナダ、ドミニカ、ベネズエラの代表チームと熱戦を繰り広げた。
 女子日本代表は、シングルラウンドロビン(1回総当たり)方式で行われた予選リーグを、「王者」アメリカにこそ敗れたものの、4勝1敗の2位で通過。「最終順位決定戦」では、予選リーグで唯一敗れた1位のアメリカと再戦。雪辱を期したが、アメリカの「エース」キャット・オスターマン(2011年、日本リーグ・豊田自動織機でプレー)に13三振を奪われる等、打線が沈黙。全投手をつぎ込む懸命の継投策も空しく、アメリカの強力打線を止められず、0-3の完封負け。2年ぶりの王座奪還は成らなかった。

 8月19日~23日、「第9回アジア女子選手権大会」がインドネシア・ジャカルタで開催された。
 大会には10チームが参加。日本は韓国、香港、タイ、フィリピンと同じ「予選リーグ・グループA」に振り分けられ、シングルラウンドロビン(1回総当たり)方式の予選リーグを戦い、A・B両グループの上位4チームが決勝トーナメントへ進出。上位3チームに2010年に開催される「第12回世界女子選手権大会」への出場権が与えられることになった。
 従来であれば、このアジア選手権を勝ち上がり、世界選手権へ駒を進め、そこで上位4位以内に入ればオリンピックへの出場権が獲得できたわけだが、2012年のロンドン・オリンピックからソフトボール競技が「除外」されてしまったため、「オリンピックにつながらない」大会となってしまった。
 それだけにそこに参加する選手・チームのモチベーションや目的意識にも微妙な影を落とし、中にはベストメンバーを組まずに参加するチームも見られた。また直前にタイ・バンコクで「ユニバーシアード」が開催されていたこともあり、大学生が代表チームの骨格を占める国々はそこから休みなく転戦を余儀なくされる等、コンディション、スケジュール的にも厳しい大会となった。
 そんな中、「日本代表」は圧倒的な強さで大会を制し、改めて「アジアに敵なし」の印象を残した。

 11月16日~18日、「2007 JAPAN CUP」が神奈川県横浜市・横浜スタジアムを舞台に開催された。
 大会には、2006年の「第11回世界女子選手権大会」の上位4チーム(アメリカ、日本、オーストラリア、中国)の「世界の4強」が顔を揃え、さながら北京オリンピック「前哨戦」といった雰囲気の中、熱戦を繰り広げた。
 大会は、まずシングルラウンドロビン(1回総当たり)方式の予選リーグを行い、その順位に基づき、予選1位と予選2位、予選3位と予選4位が対戦。最終順位を決定する試合方式で覇が競われた。
 「日本代表」は予選リーグで、オーストラリアに1-0、中国に3-2と競り勝ち、「王者」アメリカに5-2で快勝。3戦全勝の1位で予選リーグを通過。決勝進出を決めた。
 決勝では、予選2位のアメリカと対戦。延長11回の死闘を演じたが、惜しくも2-3で敗れ、準優勝に終わった。

 またしてもアメリカに敗れた。アメリカに勝たなければ、北京オリンピックでの「金メダル獲得」はない。それだけはハッキリしている。にもかかわらず、そこに至るための方法論、戦術・戦略を見出せずにいる。「金メダル獲得」のために……アメリカは乗り越えなければならない「壁」である。その「答え」は明白なのに、それを解くための「解法」が見当たらない。
 あるとき、アメリカの練習を偵察中だった強化スタッフは、その練習内容に圧倒され、敵ながら「惚れ惚れしてしまった」と思わず「本音」がこぼれ出た。「1番・2番」でコンビを組むナターシャ・ワトリー(2009年~2016年、日本リーグ・トヨタ自動車でプレー)、ケイトリン・ロウが、コーチの指示した場所に的確に「俊足」を活かすための「スラップ」で転がしていく。三遊間深く、ベースカバーに動くショート、セカンドの背後、それこそ正確に、測ったように。それだけではない。それが終わるとフルスイングで軽々と打球をスタンドに運んでいた。何本も何本も……打球がスタンドへ消えていく。それができる選手でありながら「勝つために」「チームのために」忠実に自分の役割を果たす。楽にスタンドに運ぶ力とバッティング技術を有しながら、チームから求められた役割を黙々とこなしていく。ジェシカ・メンドーサ、クリストル・ブストスという破壊的で怪物的なスラッガーにつなげ、得点のチャンスをお膳立てするために……自分を殺し、自我を捨て去り、「フォア・ザ・チーム」に徹する。何気ない日々の練習の一コマからもアメリカの「強さ」を感じずにはいられなかった。
 アメリカというチームを知れば知るほど、分析すればするほど、その「完成度」は高く、どこにも「隙」が見当たらない、まさに「史上最高にして最強」のチームだった(後編へ続く)。

(公財)日本ソフトボール協会 広報
株式会社 日本体育社「JSAソフトボール」編集部 吉田 徹

2007年 日本代表選手

選手

No. 守備 氏名 所属 背番号
1 投手 上野由岐子 日立&ルネサス高崎 17
2 江本奈穂 豊田自動織機 16
3 染谷美佳 デンソー 14
4 藤原麻起子 日立ソフトウェア 19
5 増淵まり子 デンソー 20
6 捕手 乾絵美 日立&ルネサス高崎 23
7 鈴木由香 日立ソフトウェア 22
8 内野手 内藤恵美 豊田自動織機 6
9 佐藤理恵 レオパレス21 24
10 西山麗 日立ソフトウェア 3
11 伊藤幸子 トヨタ自動車 10
12 廣瀬芽 太陽誘電 8
13 三科真澄 日立&ルネサス高崎 4
14 外野手 山田恵里 日立ソフトウェア 11
15 松崎絵梨子 太陽誘電 26
16 狩野亜由美 豊田自動織機 5
17 馬渕智子 日立ソフトウェア 25

※氏名、所属は当時のもの

2007年 日本代表選手(B代表)

選手

No. 守備 氏名 所属
1 投手 後藤真理子 太陽誘電
2 坂井寛子 太陽誘電
3 松村歩 シオノギ製薬
4 安福智 シオノギ製薬
5 捕手 谷川まき 太陽誘電
6 峰幸代 日立&ルネサス高崎
7 内野手 伊藤良恵 デンソー
8 上西晶 太陽誘電
9 小柳薫 豊田自動織機
10 藤崎由起子 トヨタ自動車
11 藤本索子 レオパレス21
12 古田真輝 豊田自動織機
13 外野手 河野美里 レオパレス21
14 国吉早乃花 日立&ルネサス高崎
15 田中幹子 豊田自動織機

※氏名、所属は当時のもの

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